天平時代から平安遷都への流れが分かる!マンガ日本の歴史7

マンガ日本の歴史7

石ノ森章太郎氏のマンガ日本の歴史シリーズ第7巻。

京都に千年の都が築かれたことは、誰でも知っている。では、千年の都が今まさに作られようとしたその時代、どのような人々が支配者となったのだろうか。王権の地位は、如何にして巡っていったのだろうか。平安京の成立とそこに関わった人々について知るのに、うってつけの一冊である。

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前半:天平時代の仏教と政治

称徳天皇と道鏡

本書の前半は、聖武天皇・称徳天皇によって全盛を極めた天平時代が描かれている。聖武天皇は仏教を政治の中心に据え、世を治める助けにしようと考えた。そこで当時民衆に影響力のあった僧行基を利用し、平城京に金鐘寺を立て、巨大な仏像を作らせた。これが、復元を経て現代へ伝わる東大寺「奈良の大仏」である。

聖武天皇亡き後には、彼の娘である女帝称徳天皇が即位する。彼女は看病禅師道鏡を師と仰ぎ、仏教に傾倒するようになる。道鏡は765年太政大臣禅師の地位を与えられ、翌年には法王の地位を与えられていることから、称徳天皇の道鏡への入れ込み具合は相当なものだったことがうかがえる。

770年、称徳天皇没し、天平時代も終わりを迎える。彼女には子がいなかったことから、天武天皇以来続いていた王系が途絶えてしまった。そこで表舞台に返り咲くことになったのが、天智天皇の系譜の人々である。まずは天智天皇の孫にあたる光仁天皇が即位し、新たな時代が始まっていく。

後半:平安遷都へ

桓武天皇(右)

後半は、光仁天皇の後を継いだ桓武天皇の治世が描かれている。桓武天皇は即位の際、天皇の地位や権威が神話ではなく律令によって支えられていると宣言した。これは神話を重視し「まつりごと」の色彩がまだまだ強かった天武天皇系の王朝を否定し、律令による国家統制を掲げた画期的なものであった。

即位後、都は平城京から長岡京へ、そして平安京へ移されていく。新京の建設を進めると同時に、桓武天皇は積極的に東北地方の蝦夷の征討を進めた。蝦夷の抵抗は凄まじかったが、年月をかけることで着実にこの地方への支配は進んでいった。

804年、桓武天皇は27年ぶりの遣唐使を派遣する。このときに最澄と空海が唐に渡ったのだが、彼らはその後の日本社会・日本仏教に多大な影響をもたらすことになる。

雑感

天武天皇系から天智天皇系へ

「クーデター」を起こして激動の中で始まった天武天皇系の王統。それも幾代かで途切れ、天智天皇系の王統に移り変わっていくのは何ともドラマチックだと感じる。

目には見えない歴史の神様の指し示していた指先が、「やはりこちらに」と思い直してふっと他の方向を指し示したかのような。