菅原道真の活躍とその終焉が分かる!マンガ日本の歴史9

マンガ日本の歴史9

しばらくお休みしていた『マンガ日本の歴史』だが、再開しようと思う。前8巻は、藤原北家の義房が政治の実権を握り、その後を基経が継承するというストーリーだった。

彼らの家系はその後いかなる命運をたどるのか。また天皇を中心とする政治の世界はいかに動いていくのか。第9巻の話題はそこにある。

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前半:菅原道真の台頭・失脚

菅原道真

891年、藤原北家の実力者基経没する。その跡を長男時平が継ぐが、彼がまだ若かったこともあり、時の宇多天皇からの信頼は厚いとは言えなかった。変わって頭角を現しはじめたのが、学者菅原道真である。道真は宇多天皇に寵愛され、遣唐使廃止等の重要政策を助言した。

897年、宇多天皇は子の醍醐天皇へ譲位するが、このことが宇多天皇と菅原道真によって主導されたことに、時平はいよいよ危機感を募らせた。また宇多天皇が政治の表舞台から退くと、他の公卿たちが抱いていた反道真感情も表面化し、1年にわたる職務ボイコットという事態も発生した。

901年、道真は天皇への謀反を企てたとの嫌疑で失脚し、九州大宰府の地に流されてしまう。これにより藤原北家の安泰はひとまず守られた。この後、時平は妹の穏子を入内させて醍醐天皇との子を作らせ、ますます天皇家との関係を密にしていった。

道真の怨霊

藤原忠平

909年に時平が没すると、その弟忠平が醍醐天皇のパートナーとなった。醍醐・忠平政権は、この頃地方で勢力を拡大させていた私営田領主に対抗するため、国司の権限を強める政策をとった。具体的には、地方で税所・調所等の機関を整備し、検非違使等の役人を配備した。

醍醐天皇も晩年の923年、最愛の皇太子が急逝した。このことは、大宰府に流されて死んだ菅原道真の怨霊がもたらした災いであると噂された。930年にはさらに清涼殿に落雷が起き、政界の重要人物数人が死亡した他、幾人もの重症者を出した。醍醐天皇はこれ以降病に伏すようになり、まもなく没する。

幼くして朱雀天皇が即位すると、忠平はただちに摂政となり、引き続き藤原北家が都の実権を掌握することとなった。

雑感

菅原道真といえば、福岡県は太宰府天満宮に祭られる学問の神様である。本書のストーリーをたどることで、道真がどのような生涯をたどり、そしてどんな思いを抱いて大宰府にやってきたのか、はっきりと感じ取ることができる。

ところで、少し前に「半沢直樹」というドラマが流行ったが、その最終話で、イヤな上司が九州に左遷されるという場面があったらしい(私は見ていないので、小耳に挟んだだけの話。間違っていたら申し訳ない)。

とすると、道真の時代も、今日も、九州という場所は実力を失った人が流されていく場所だと認識されているわけである。福岡に住んでいる私としては、何か複雑と言うか、腹立たしいというか。福岡もいいところだよ!と言いたくなる。

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