承平・天慶の乱と天暦の治が分かる!マンガ日本の歴史10

マンガ日本の歴史10

石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』シリーズ。第10巻が描くのは、10世紀半ばの日本の姿である。「つわもの」を自称する荒くれ者たちが現れ、地方で集合して乱を起こすようになった。当然、朝廷もこれを討伐すべく動くこととなる。

およそ1100年前の日本の姿とは、どのようなものだったのだろうか。今回もこの歴史漫画が、私の乏しい想像力を補ってくれた。

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前半:東の将門、西の純友

将門の首

朱雀天皇即位の頃、東国では天皇家の血を引く平将門が周辺の有力者や農民を従えて勢力を拡大するようになった。常陸国、下野国、上野国を次々と支配下に納め、坂東(関東)八国を統合して帝都を作ろうと計画した。

この勢いを止めたのが、一度は将門に敗れて逃亡していた平貞盛、ならびに下野国押領使藤原秀郷の連合軍だった。940年に下総国猿島北山で平将門軍、貞盛・秀郷連合軍が激突し、平将門は討たれ敗れた。

同じ頃、西国では海賊藤原純友が出没して官財・私財を奪っており、941年には大宰府を占拠するまでに拡大した。朝廷から征西大将軍藤原忠文が派遣されると、純友配下で実力者だった藤原恒利が朝廷に寝返った。その結果、博多湾で戦となった純友軍、忠文・恒利軍だったが、朝廷側すなわち忠文・恒利軍が圧倒的な勝利を収めた。

以上の平将門の乱および藤原純友の乱は、後年、承平・天慶の乱として知られることとなる。

後半:村上天皇による天暦の治

村上天皇

相次いだ乱の平定後、朱雀天皇は病に苦しむようになり、946年、弟の村上天皇に皇位を譲った。

村上天皇は21歳であり、摂政・関白を立てることはしなかったが、左大臣に藤原実頼、右大臣に藤原師輔を任じたから、藤原家の力は未だ衰えたわけではなかった。

村上天皇は国政改革への意欲をみせ、多くの勅を出して政治に情熱を傾けた(天暦の治)。しかしながら、国内では天災や飢饉、奇病(福来病=おたふく風)の流行が続き、安定した世情とは言えなかった。967年村上天皇崩御。

雑感

将門が打ち取られていく描写はちょっとグロテスクな感がある。首を切って取り上げ、さらし首にするというものである。関東各所に将門の首塚があるそうだから、それと関連づけるために、敢えてこういった表現をしているのだろう。

首を切り取るといったら、現代で言えば某テロ組織である。どう見ても残虐な行為だと思えるが、時代が違えば日本でも同じことがよく行われていたということ。だから何というわけではなく、状況も色々と違うとは思うが、認識しておく必要はある。

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