アラサーで職歴が無い人生を送っていた杉山貴隆です。
今回はこんな疑問に答えます。
定職につかないままアラサーになってしまい、将来が怖い。いったい人生どうなるんだろう? 同じ境遇の人の末路がどんなものか知りたい…
社会に出て働かないまま30歳近い年齢になると、本当に不安になりますよね。お金もなく、孤独で、住む場所も食べるものも無い人生になってしまうんじゃないか… そんな思いにかられる心境、とてもよく分かります。
でも大丈夫です。人生はあなた自身の力で好転させることができますから。事実、アラサーで無職だった私はもがいてもがいて、約6年かけて少しずつ人生を変え、現在では上場企業の子会社で正社員として勤め、平穏な人生を送っています。
この記事では私の「もがきっぷり」を晒しつつ、どん底の人生から這い上がれた理由についてお伝えします。
アラサーで職歴なしだった私の末路【ダイジェスト版】
私が20代後半からたどった人生をダイジェストにまとめると次の通りです。
- 29歳
- 大学院を中退。初就職でブラック企業へ(半年で退職)
- 30歳
- 宅建を取得しグレーな2社目へ転職(従業員約10人)
- 32歳
- ITベンチャー上がりのホワイトに近いグレーな3社目へ転職(従業員約50人)
- 33歳
- 大手メーカーでホワイトな4社目へ転職(従業員数万人規模)
- 35歳
- 上場企業の子会社でホワイトな5社目へ転職(従業員数万人規模)
正直、28~29歳頃の私は「人生詰んだ。もうダメだ」と思っていました。しかし上に示した経緯から読み取れるように私はガンガン転職を繰り返しました。その結果、少しずつ良い環境に移っていくことができました。
以下では、参考までに私の転職人生を少し詳しめに紹介します。そしてなぜ人生を好転できたのかを自分なりに分析してみたいと思います。
アラサーで職歴なしだった私の末路【詳細版】
私は20代の後半まで文系の大学院に在籍していました。でも思うような実績は残せないまま30歳近い年齢になりました。
あまり使わずに貯めていたはずの奨学金も学費・生活費として消えていき、親も老いてきたことで「もうこのあたりが限界だ」と感じました。私は大学院を中退することに決め、中途採用で雇ってくれるところを探しました。
【29歳】文系大学院を中退。初就職でブラック企業へ(半年で退職)
私の専門は文系でしたし、ムダに長く学生をやっていたため、大学院にいたことは就職には不利にしか働きませんでした。それでも「とにかく職歴を1つ作ることが大事だ」と考えた私は内定を出してくれたある会社に飛び込みます。
しかしその会社はブラック企業でした。早朝から深夜まで働かされる上、残業代も出ず。売れ残った商品を買い取らされたりもしました。私は劣悪な労働環境に耐えられなくなり退職を申し出ました。初就職はわずか半年の短い期間で終わりました。
【30歳】宅建を取得しグレーな2社目へ転職(従業員約10人)
私はブラック企業で消耗しながらも、こっそりと宅建の学習を続けていました。1社目を退職してすぐに宅建試験を受験し、無事合格。宅建の資格が得られたこともあり、2社目の就職はすぐに決まりました。小規模な不動産管理会社でした。
この会社はブラックとまではいきませんが、良く言ってグレーでした。残業が毎日2時間くらいあったのですが、時間外手当は「みなし残業」に含まれており、働いた分もらえるわけではありません。
ボーナスが比較的しっかり出ていたのは良かったです。また人間関係もそんなに悪くはなかったので2年ほど勤めることができました。
ただ、当時私は不動産会社よりもIT業界に関心が出てきた頃でした。そこで転職活動をした結果、ホワイトそうな1社から内定をもらえたため、思い切って2社目を退職しました。
【32歳】ITベンチャー上がりのホワイトに近いグレーな3社目へ転職(従業員約50人)
3社目のIT企業は、もともとベンチャー企業だった会社が10年くらいで中堅選手となり、ゆくゆくは上場を目指すぞ…という感じの会社でした。
ホワイト企業とは言い切れないものの「かなりホワイトに近いグレー」な労働環境でした。毎日のように定時近くに帰れたので、嬉しく過ごしていました。
しかし残念ながら私は直属の上司とそりが合いませんでした。それどころか上司は私をイジメるようになりました。次第に私は出社・勤務がつらいと感じるようになり、帰宅後に毎晩のように高熱を出すようになりました。
あこがれていたIT業界に転職でき、しかもほとんどホワイトのような会社にようやく入れたのに。悔しい。そう感じながらも、ここで仕事を続けることはできないと思い8か月ほどで退職しました。
この会社で上司から受けた仕打ちは心にトラウマとして残っています。それでも自分が壊れてしまう前に退職できてよかったと今となっては思っています。
【33歳】大手メーカーでホワイトな4社目へ転職(従業員数万人規模)
私は福岡市で上記3つの会社に勤めたのですが、結局どの会社も辞めてしまう結果になってしまいました。もう福岡で働くのは無理だと考えるようになり、落ち込みました。「もう田舎に帰ろう」と決心し、地元の沖縄県に移り住むことにしました。
現地で就職活動をしたところ、とある大手メーカーの沖縄支社に採用してもらうことができました。この会社はそれまでの私の会社員歴の中でもダントツでホワイトでした。ボーナス年4カ月分、時間外手当も満額支給、土日祝すべて休み、飲み会は自由参加、上司も全員温厚で優しい等。
やっぱり大手メーカーともなるとこんなに良い環境で働けるのかとビックリしたことを覚えています。一方で、既に10年ほど福岡市という都市部で暮らした経験のある私には沖縄という田舎での生活が耐えられなくなっていました。
人生の質が低下していると強く感じたため、会社に対してはほとんど不満が無かったのですが、退職して福岡に戻ることを決意しました。
【35歳】上場企業の子会社でホワイトな5社目へ転職(現在に至る)
福岡に戻った私は1年ほど前からとある上場企業の子会社に勤めています。この会社もホワイト度は高めで不満はほとんどありません。再び福岡市で生活を送れるようになり、おいしいものを食べたり好きな場所に行ったりと、自分のしたい暮らしができるようになりました。
仕事の満足度と生活の満足度とを合わせて考えると、現在の私はこれまでの人生の中で最も豊かな、最高の日々を過ごしています。
右肩上がりで改善できた理由とは?
ここまで書いてきたように、私は職歴の無いアラサーとしてブラック企業に飛び込む、という底辺の状態から、約6年かけて少しずつ自分の人生を好転させてきました。どうしてそれが可能だったのか。
振り返って考えてみると、自分の人生は自分で切り開くと決め、行動し続けたことが良かったのだと思っています。
心や体がまいってしまうような出来事もたくさんあったのですが、その都度逃げたり諦めたりすることでリセットし「次はもう少しうまくやるぞ」と意気込んで、できる限り行動しました。
結果として、ブラックからグレーへ、グレーからホワイトへと働く場所を移し、人生の満足感を大きく改善できたのです。
おわりに:今日から第一歩を踏み出そう
この記事を読んでいるあなたは現在アラサーで職歴もなく、生きることに希望を見いだせないような状態なのではないかと思います。
いい大人とも言われる年齢になって定職に就いた経験がないとなれば、確かに社会からの目は厳しくなります。自尊心も持てず、つらい気持ちになってしまうことでしょう。
でもあなたの人生はあなた自身が行動することできっと良い方向に変えていけます。ちょうど私がそうしてきたように。
1年や2年で劇的に変えることは難しいかもしれません。でも「少しずつ変えていこう」「きっと今より良くなる」と希望を持って数年かけて取り組んでいきましょう。今のあなたが行動を起こせば起こすほど、数年後のあなたの未来は着実に明るさを増していくはずです。
以上、参考になれば嬉しいです。